米に宿る神様は何人?一番有力なのは七福神説!
2018.5.6

米の神様。
何人いるのか諸説あります。
一番有力なのは七福神説でしょう。
米俵に乗っている大黒様もいらっしゃるしね。
子どもに食べ物の大切さを教える時に「お米には神様がいてね」という話をしたことがあるのではないのでしょうか?
1人・6人・7人・88人と、お米の神様には諸説ありますが、神が宿っていることに間違えないでしょう。
そんなお米の神様について、調べてみました。
心温まるエピソードと一緒にお読みください。
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この記事の目次
お米の神様。何人いるのか知っていますか?
ご飯茶碗に米粒を残すと「お米には神様がいるから、粗末にしてはいけない。最後の一粒までしっかりと食べなさい」と言われて育ってきました。
皆さんはいかかですか?
あせって、お茶碗にこびりついたお米をお箸で寄せようとしたら、米粒がつぶれてしまって神様をつぶしてしまったと焦ったものです。
米俵一表に6人の神様が乗っていますから、米つぶの神様は6柱(人)と言うのが有力なようです。
ですが、最近は6よりも7と言う数字の方が縁起がよい感じがするのか、「米粒の神様7柱(人)」と言うのが世間では浸透しているようです。
ちなみに、神様は『人』ではなく『柱』で数えます。
お米の神様は何人?最も有力な7人説の神様は七福神?それとも七貴神?
「米つぶ神様7柱(人)」説には、二通りあります。
お米を作るには、「土、風、雲、水、虫、太陽、人」が必要で、どれが欠けても収穫することができません。
五穀豊穣を祝う五穀豊穣祭の「七貴神(しちきじん)」を表していると言われています。
- 七貴神は(しちきじん)は
- 火の神 シウテクートリ
- 火打ち石の神 イツトリ
- 若い太陽神 ピルツィンテク-トリ=ショチビリ
- メイズの神 センテオトル
- 地下世界の神 ミクトランテクトーリ
- 水の神 チャルチウ-トクリエ
- 愛の女神 トラソルテオトル
- 山の心臓の神 テペヨロ-トリ=テスカトリポカ
- 雨の神 トラロック
からなります。
また、俵に乗っている大黒様がいらっしゃるので、七福神がお米の神様だという説もわかりやすくていいですよね。
お米の神様って何人?お米の神様の代表はやっぱり大黒様でしょ!
『一粒のお米には神様が7柱(人)いる』
この一粒のお米に神様7柱説の神様を七福神だとすると、その神様は
- 恵比寿
- 大黒天
- 毘沙門天
- 弁才天(弁財天)
- 福禄寿
- 寿老人
- 布袋
となります。
その、七福神の1柱である大黒様ですが、米俵の上で左には大きな袋、右手には打出の小づちを持ち、ふくよかな体と大きな顔で微笑んでいらっしゃいますよね。
この姿がなんとなく「お米の神様」として象徴されていったのではないのでしょうか?
豊作だと人々の暮らしが安定しましたから、米俵の上で笑顔の大黒様を見ると「お米の神様」として、印象に残ってしまうでしょう。
一粒のお米に神様説は、食べ物の尊さを表している。
お米を作る前の日本は、約20万人程度の人口だったと言われています。
それから、室町時代、戦国時代を経て1500万人までに増えたのはお米を作る技術が向上したからだと言われています。
水が豊かで気温が高い日本の風土に、お米の栽培は適していたようで、お米の収穫数が増えていけばいくほど、日本の人口は増えていったようです。
現在でも神社には、日本酒やお米を奉納します。
昔、天上の神々の国、高天原から天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、豊葦原の瑞穂の国(神話での日本)に降臨する際、
『この高天原で育った稲穂を地上に植えて、この国を天上のように平和で穣り豊かな安定した国にしなさい。』
と言われて、稲穂を手に持ち、瑞穂の国へと降り立ちました。
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が手に持って降りてきたお米は、瑞穂の国(日本)で人々の生命を支え、かけがえのない食べ物になっていきました。
このような神話から、お米は神様から与えられた大切な食べ物だということがわかります。
白いご飯に何かをかけて食べるのは神様を汚す!?じいちゃんからの教えとは
昔の人は、白いご飯の上に何かをかけて食べるのも、神様に対して失礼に当たると言ったものです。
今ではポピュラーな卵かけごはんなんて、神への屈辱だったのでしょうか?
白い炊き立てのご飯。
しっかりとかみしめれば、とても甘く美味しい味わいを感じることができます。
ですが、やっぱり、白いご飯と○○って最高の組み合わせを求めてしまうのが現代人ではないのでしょうか?
例えば、おにぎりには海苔を巻きますが、おじいちゃんはご飯茶碗によそわれた白いご飯に海苔を巻いて食べることもあまりいい顔をしませんでした。
私たちは、お金でお米を買いますが、おじいちゃんの時代には、いくらお金があってもお米を買うことができない時代もありました。
現代のように安定供給される仕組みもありませんでしたし、取れない年はお米を食べることができないのが当たり前でした。
どんなに美味しいカレールーでも、お米が美味しくなければ美味しいカレーライスにはなりません。
お米を食べるためのバリエーションは増えましたが、時には白いご飯の味をかみしめながらいただくべきなのかもしれませんね。
食べものが当たり前にある時代になってしまいましたが、ここまで来るには先人たちの努力と苦労、そして神様の支えがあったことを忘れてはいけませんね。
- 雑学