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江戸時代の女性の生活とは?実は自由で気楽な時代だった

2017.8.22

江戸時代の女性の生活の様子とは?

時代劇などで見られるような髪型や着物を着て家電のない生活をしていたと思うとどのような暮らしをしていたのか気になりますよね。

こちらでは江戸時代の女性の流行や生活スタイルについて調べてみました。

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江戸時代の女性の未婚・既婚は普段の生活の髪形や着物でわかる

まず江戸時代の女性が結婚しているのかしていないのかは普段の生活で着ている着物や髪形を見れば判断することができます。

江戸時代の髪型

結婚していない若い女性は主に、「島田髷」と呼ばれる髷を折り返してとめるというシンプルな髪形が流行していました。また結婚している女性の代表の髪形は「丸髷」という頭のてっぺんに少し平たい髷を付けた髪型をしていました。

女性の着物

若い未婚の女性は、華やかで若々しい模様の振袖(18歳まで)を着用していました。19歳になると元服し留袖にしていたようです。また、既婚女性は留袖の着物を着用しエプロンをしている姿が一般的でした。

お歯黒とは?

お歯黒は古くからあるお化粧の方法で、婚約や結婚が決まると歯を黒く染める成分の入ったお歯黒水を早朝に塗り歯の表面を黒くコーティングしていったのです。お歯黒をしている女性は結婚しているとう証なのです。

江戸時代の女性の生活は自由で幸せだった!

江戸時代の女性の扱いについて

男尊女卑・亭主関白のイメージが強く女性に自由はなかったのでは?と思いますが、実際の生活はそれほどでもなかったようです。

一般庶民が暮らすのは主に長屋と呼ばれる今の集合住宅のような建物に暮らしていました。そこで生活する町民は井戸やトイレが共同だったため他の家族との関わり合いもとても密接でした。朝起きて、変わったことがないかと近所をまわる習慣もあり、これが「朝飯前」と呼ばれる起源になったようです。

今でも主婦の間でよく目にする井戸端会議と呼ばれる世間話は、長屋に住む女性たちのコミニュケーションに欠かせない楽しい時間だったようです。井戸で洗濯や炊事をする中で、わいわい盛り上がりながら日々を過ごしていたのですね。

また江戸では火事が頻繁に起こるため、お風呂は各家庭にはありませんでした。江戸時代は銭湯が主流でコミニュケーションの場としても機能していたのです。江戸時代は離婚率も高かったと言われ、女性は恋愛も自由奔放、生活も開放的で平等な幸せな暮らしを送っていたと言われています。

江戸時代の農民へ嫁ぐ女性の生活とは?

時代劇などで江戸時代の農民は、貧しく苦しい生活をしていたように描かれています。ですが実際には江戸時代の農民は、下級武士や商人などと同じような普通の暮らしをしていたようです。そして農民へ嫁ぐ女性には、体力(健康である事)と子供をたくさん産むことができるという事が重点的に求められていたようです。

一般的に女性は20歳前後に結婚し、子供は4人から5人ほど産んだそうです。子育てで忙しい時期が続きますね。子供が産めない体ですと離縁されることもあったそうです。農民はお休みの日がないので忙しい毎日を送っていたことでしょう。

日本史でも知られるように「お米」は課税の対象でしたが、農民はそれ以外の作物や加工食品、民芸品を作製・販売し金銭を得て生活していました。

年貢さえ納めれば、割と自由だったのです。そうして日々の暮らしに楽しみを見つけ、子供にも教育を受けさせるなど、のんびり暮らす生活を送っていたようです。

江戸時代は気軽に離婚!女性にも強い発言力がある

江戸時代の夫婦関係は決して男尊女卑ではありませんでした。それは離婚について調べてみるとわかります。江戸時だの離婚のイメージは、妻が夫に問答無用で追い出されてしまうと想像してしまうものですが、離婚は女性の承諾がなくてはできなかったのです。

そして江戸時代は、今よりも気軽に離婚をしていたようです。難しい手続きがなく、離縁状という離婚の証明書のようなものを直接渡すという事で離婚が成立していました。妻が離縁状を受理して初めて離婚が成立するのです。

実際に江戸時代の離婚率は10パーセントで、離婚しても約半数はその後再婚に至るようです。そして結婚時に妻が持ってきた持参金は夫婦であっても夫が使う事は許されなかったそうです。女性にもそれなりの立場や権利があったと考えられます。

江戸時代の農民の生活では白米を食べれることが稀だった

江戸時代には少女を買い取る人身売買が行われていました。女衒(ぜげん)という美人の少女を買い取る商売が存在していたのです。そのターゲットになるのは主に貧しい農民でした。

10歳程度の幼い少女は、連れていかれるときに「白いご飯が毎日お腹いっぱい食べられるようになるよ」と言いなだめられ連れていかれるそうです。農家の子供たちも主食は玄米であり白米を食べる機会などはほとんどなかったのでしょう。

その反面、江戸の武士や町人は白米ばかりでおかずや野菜はほとんど食べない生活を送っていました。そして栄養が偏り、脚気という病気が流行りました。脚気というのはビタミン欠乏症で心不全や下肢のむくみやしびれの症状が起きる病気です。当時の人は脚気という病気を知らなかったのでおかしな恐い病気だと言われていたそうです。

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